どついたるねんの第2回オナラプープーまつり①

2011年3月にTwitterをはじめまして。

 

そのころ僕は病気を患ってまして、自分がどうやって生活していたのかあまり記憶がないのですが、ボロいノートパソコンをインターネットに繋いでおもしろそうなバンドのアカウントをフォローしてはネットストーカーのようなことをしていた気がします。

 

どついたるねんを知ったのもTwitterでした。

 

僕が知ったときにはどつ(どついたるねんの略称)はメンバーで共同生活をされていて、『進ぬ!電波少年』のなすびのような動画を毎日YouTubeに上げてらっしゃって。

 

80年代インディーズパンクシーンに憧れていた僕はもう夢中で。

 

山ちゃん(現FIRE BOYS)が高円寺北口駅前広場にある銀の電灯によじのぼってザ・ブルーハーツを熱唱した動画なんかは声を出して笑いました。

 

全裸のうーちゃんがお湯を溜めた浴槽に入ってひたすら宙返りのようなことをするという動画じゃなかったでしょうか。

 

うーちゃんの局部が写り込んでしまい、それまで上げていた膨大な数の動画がYouTubeから削除されてしまって。

 

その後も数々の珍事件があって、僕も僕で病気が回復してきた2014年11月10日月曜日。

 

上下緑のジャージにミッキーマウスのバッグを背負った坊主頭の僕は、『どついたるねんの第2回オナラプープーまつり』に参加すべく上京して恵比寿にいました。

 

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愛のために。

茨城県水戸市というBURST CITYに4年間住んでいたことがありまして。

 

僕の住んでいたアパートは水戸駅から徒歩1時間弱のところで、バスのある時間帯はいいんですけど、バスがなくなったときなんかは赤塚駅という隣駅がありまして、そっちの方が近かったのでよく利用させてもらってました。

 

(どうでもいい情報なんですけど赤塚駅の近くにエロビデオ屋がありました)

 

その日も終電で帰ってきた僕は赤塚駅で下車して、アパートまでの道のりをガラケー片手にとぼとぼと歩いていました。

 

そのころ上戸彩さんが主演で『エースをねらえ!』のテレビドラマが放送されていて。

 

ガラケーezwebというインターネットのような機能がついてまして、そのなかに、アイドル画像保管庫、みたいなサイトがあって、アパートまでの帰り道、ひたすら上戸彩さんの画像を保存しまくってた思い出があります。

 

クソどうでもいい思い出なんですけど、いまでもたまに思い出すのなんなんでしょうね?

 

(ezwebは従量制でその月auから3万くらい請求されて焦りました)

この窓のこの角度からの景色には世界でいちばん詳しくいるね

そもそもどうしてはてなブログをはじめたのかというと、きっかけは、

 

この窓のこの角度からの景色には世界でいちばん詳しくいるね

 

というZINEとの出会いでした。

 

この窓のこの角度からの景色には世界でいちばん詳しくいるね

 

これ、タイトルです。スゴくないですか?

 

たまたまTwitterで知りまして、PDF版を購入させていただいたのですが、ハマってしまって。

 

太田垣百合子さんと立野由利子さんの交換日記なんですけど、あとがきで、

 

あるとき、百合子と「壮大な物語が読みたい。大きな作品をつくってみたい」と話したことがあります。大きな作品というのは時間のあるときにゆっくりと腰を据えて作るものだと思い込んでいましたが、きっと違うのではないかと今は思います。毎日のいろんな出来事の間をかいくぐって、そのとき書けることを書く、そしてつなぎ合わせていく。キャンバス全体にどーん豪快に絵画を描くというよりは、小さな紙を一枚一枚貼り合わせるちぎり絵を作っているようなものだ。なんてことを考えながら、この冊子をつくっていました。

 

と立野由利子さんが書いてらっしゃって、ほんとそんな作品になっていて、このちぎり絵がどうなっていくのかを見たくて。

 

それでZINEのつづきをはてなブログに上げてらっしゃるとご案内いただいたので、ソッコーアカウントを作ったというわけでした。

 

はてなブログってアプリもあるんですね。

 

https://konomadokonokakudo.hatenablog.com/entry/2021/09/12/000000

TAKE.1

大学3年生のある日。

 

甲斐くんというB'zの『ultra soul』の、

 

ウルトラソウル

 

の部分に命をかけてる男から漫画を借りまして。

 

山田玲司先生の『Bバージン』という漫画だったんですが。

 

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この漫画との出会いがその後の僕の人生を大きく変えることになります。

 

大学1年生のときに付き合い始めた彼女と半同棲のような生活をしていた2002年のことです。

きっと どこかで

親父がうんこを漏らしまして。

 

お袋と三人で爆笑したんですけど、つくづく家族に恵まれてるなあと思いまして。

 

ひと昔前は、終身雇用、とか、老後も安心、なんて言葉が流行ってた気がするんですが、幻でも見てたんですかね?

 

僕が大学生のときには親父は正規雇用ではなくなり、ずっと派遣で働いて。

 

お袋もパートで働いて、二人とも70過ぎたいまでもまだ働いてて。

 

働く理由が、やりがい、とかだったら勝手に働いたらいいと思うんですが、年金だけじゃ暮らしていけない、ってヤバくないすか?

 

とりあえず便所がチョークサいんで窓開けます。ちょっとしたテロみたいです。

 

(ご近所さん、すいません!!)

読んだ後、なんにも残らない、なんにも覚えていない、でも、ああ、読んだなあ、って感じだけがある小説

『こどもの一生』(集英社文庫)を読み返したんですが、いしいしんじさんが解説で、

 

小説の価値、という点に戻れば、中島らもにとって小説は、人間のするあらゆる行いのなかで、一見もっとも余計で、あろうがなかろうが別にどうだって構わず、しかし、どういうわけか、人間が人間をやりはじめたころからずっと誰かが、細々とそれらしいことをやっているという、いってみれば、数少ない「わからない」ものの筆頭にあったのではないか。わからないから、近寄ってみる、というぐらいのもので、それで何かを伝えようとか、新しい価値を世に出そうとか、意図をもって小説を選んだ、ということはおそらくなかった。彫刻家が粘土に、画家が絵の具に近づいていくように、中島らもは小説に近づいた。あるいは、気がついたら小説のそばにいた。中島らもは小説に近しさを感じ、読み、そして書いた。書いてみるといっそう「わからない」度合いが増し、次々と書くようになった、と、そんなような気がする。内からわき上がる、といったものでなく、つまり自己表現としてではなく、周囲のわかりすぎる世界にささやかな破れ目をあける、理路整然と並んだ事象のあいだに、半透明な生き物を無軌道に飛びまわらせる、といった感じで、小説を書き、それを自分の外に置いた。「こんなのが出来たのか」としばらく見つめ、「わからんな」とつぶやき、また次を書く。

 

と書いてらっしゃって、スゲーわかると思いました。

 

あ、昨日から『真・事故物件 本当に怖い住民たち』が全国ロードショーらしいです。

恋は真夏のように愛され眠る

大学で茨城に出てきて感動したのはTBSとテレ東が放送されていたことでした。

 

秋田は、僕幼稚園のとき秋田に引っ越してきたんですが、日テレとフジテレビとテレ朝しか放送してなかったんですよ。

 

だから東京に出てきた吉幾三ばりに感動しちゃって。

 

ザテレビジョンを買ってきて、観たい番組に赤ペンでマルつけたりして。

 

最初は深夜にやっていた洋楽チャートの番組を観ていました。

 

海外のアーティストのPVを3、4時間ぶっ続けで流していて、そういう情報に飢えていた僕は実家から持ってきたブラウン管テレビにかぶりついて。

 

(19とかも好きでした)

 

それから『ウンナンのホントコ!』を観るようになり、『未来日記』という恋愛リアリティ企画にハマって。

 

サザンオールスターズの『TSUNAMI』が主題歌だったアレです。

 

僕はその次のシリーズから観はじめて。

 

男2人と女2人が海の家をやるシリーズが1番好きでした。GLAYの『とまどい』サイコーじゃないですか?

 

(このころ彼女が出来ました)

 

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