ふるきよきじだい

「あなたにとって伝説のバンドは?」

 

このような質問をされたら僕は、

 

「ふるきよきじだいです」

 

と答えると思います。

 

そしたら質問をしてきた人は困惑した表情をみせながら、

 

「ふるきよきじだい? ええと、それはバンド名なのでしょうか?」

 

と訊いてくると思いますので僕は、

 

「はい、そうです」

 

と答えて、質問をしてきた人は、

 

「そうなんですか。はあ」

 

なんて曖昧な相槌を打ってそれきり会話は途絶えてしまい、

 

「じゃあ」

 

「まあそういうことで」

 

みたいに気まずい雰囲気のまま別れることになると思います。

 

こんなふうにほとんどの人が知らない、けれども知っている人にはカルト的な人気を博するバンド。ふるきよきじだい。

 

僕がふるきよきじだいを知ったのは2010年代の半ば。

 

国側の悪政に、国民がデモや選挙で抵抗する余地のまだ残されていたころでした。

 

必聴!ジャーマン・ロック~とりあえずこの12枚~

野崎くんという友達がいまして。

 

もう10年以上お付き合いをさせていただいているのですが、この野崎くんが去年つくったZINEが無茶苦茶よくて。

 

これなんですが↓

 

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どんな内容か、僕が書くよりはぜひ原文を味わっていただきたいので、はじめのページをこっそり引用させていただきます。

 

 みなさんは音楽が好き? 僕は音楽が大好きだ。まずは、ジャーマン・ロックとの出会いについて話をしよう。

 二十歳前後の時に、ビートルズのアルバム『Revolver』に衝撃を受け、その流れでピンク・フロイドにハマっていった。ピンク・フロイドの音源は、レコード屋プログレッシブ・ロックのコーナーにあった。そして、その隣にひっそりとジャーマン・プログレ(ジャーマン・ロック)のコーナーがあり(現在でも同じだと思う)、ちょっと聴いてみるか~、と軽い気持ちで聴き始めたのが、ジャーマン・ロックに触れた瞬間だった。それまでは歌ものばかり聴いていたが、この頃からインストの方を好んで聴くようになっていた。

 ジャーマン・ロック(クラウトロック)の楽曲は、型にはまりすぎず軽くて聴きやすい。平面的ではなく立体的。「激しい」というよりは「美しい」。それに「内面の旅」という言葉も合いそうだ。また、ジャケットのアートワークもデザインが素晴らしいものが多い。

 よくよく考えたらジャーマン・ロックって約半世紀前の音楽。当然だけど僕はまだこの世にいない。けれども、いつ聴いても新鮮で全く古い感じがしない。僕はテクノ、ニューエイジ、レゲエ、アフリカ、インド古典など幅広く好きだが、その傍らいつもジャーマン・ロックが近くにいた。気が付くとジャーマン・ロックが聴きたくなるのだ。

 本書では、僕が何百回も聴いてきたであろうアルバムを紹介しよう!

 

レコードプレーヤーが壊れて買い替えるお金もなかった僕は、YouTubeの違法アップロードで聴き始めたのですが、やられちゃって。

 

この12枚のアルバムだけでも延々と聴いていられますし、深掘りするとその奥の深さにさらに驚かされて。

 

まさに「内面の旅」。

 

ディスクユニオンに卸しているところがにくい趣向だなあと思います↓

 

https://diskunion.net/portal/ct/detail/1008345226

 

TAKE.3

TAKE.2 のつづきです。

 

 

 

B'zの『ultra soul』の、

 

ウルトラソウル

 

の部分に命をかけている甲斐くんという男がサークルを立ち上げまして、僕はメンバーのなかのある女の子のことが気になり始めます。

 

その女の子とは初対面ではなく、前の年(2001年)に1度だけ合コンをしたことがありました。

 

思い返すとその合コンも甲斐くんに誘われて。

 

二人とも彼女がいたと思うんですけど何やってんですかね。

 

もう一人、ひらまつくんというその頃一緒にサッカーをやっていた友達を誘って、甲斐くんの友達が女の子を連れてきてくれて大学の近くの村さ来で飲みまして、そのなかにその女の子もいました。

 

綺麗な栗色のストレートのロングで、黒のライブTにダメージジーンズをはいていたと思います。

 

(ダメージジーンズといってもいまみたいに細身のものではなく、ゆったりとしたシルエットのものでした)

 

頬に幼さが残っていて、無邪気でよく笑って。

 

一次会が終わり、みんなで川に行って花火をしようという話になったのですが、その女の子は途中で抜けるようでしたので、僕が自転車でアパートまで送っていきました。

 

ニケツというやつです。

 

いまだとニケツもお酒を飲んで自転車に乗るのもダメになりました。窮屈な世の中です。

 

帰り道に色んな話をして、あっという間に女の子のアパートの前まで来てあれ?と思いました。

 

僕には、小合さん、というスケボーをやってる友達がいたのですが、女の子のアパートは小合さんの彼女と同じアパートで、しかも小合さんの彼女の隣りの部屋だったのです。

 

偶然だねー、なんて笑い合って、じゃあまた、みたいな挨拶をして階段を昇っていくのを見送ったのが僕とその女の子との出会いでした。

オーケンののほほん日記

のほほん雑記帳(のおと) のつづきです。

 

 

 

好きな女の子にフラれた僕は何を思ったのか引っ越しをします。

 

その頃セブンイレブンの深夜のバイトしかしていませんでしたし、チケット代に6万円も払ってカネがなかったのにです。

 

いまでもどうしてそのような行動をとったのか謎です。

 

きっとノイローゼだったのでしょう。

 

とにかく僕は不動産会社に来月いっぱいでアパートを解約する旨を伝えました。

 

そして年が明けるとアイフルで20万円を借りて、部屋探しをします。

 

 

 

ここからがホラーなのですが。

 

 

 

僕の好きな女の子はJR南武線武蔵新城というところに住んでいました。川崎市です。

 

その隣りに武蔵溝ノ口という駅がありまして。

 

東急田園都市線の急行が停まって渋谷に近いし、JR南武線で川崎まで行けるし、さらには東急大井町線もあって自由が丘や大井町にも出れる無茶苦茶アクセスのいいところで。

 

まあそんなことは後付けで、はっきり言ってストーカーです。

 

それも一緒の駅ではなく隣りの駅を選ぶところがタチが悪いと言いますか(誰か通報してください)。

 

しかしながらノイローゼだった僕はとりあえず高田馬場のアダルトショップで働くことにして、武蔵溝ノ口にアパートを借ります。

 

荷物はダンボール2箱。

 

洗足学園音楽大学の向かいにある第二丸定荘という木造2階建ての安アパートでの読書漬けの生活が始まるのでした。

 

のほほん雑記帳(のおと)

2005年12月24日。

 

ヤフオクで6万くらいで入手したチケットで好きな女の子を誘って観に行ったイノマー&ミネタpresents「童貞たちのクリスマス・イブ2005」の帰り道。

 

渋谷駅の京王線へ行く横断歩道の近くにあったコインロッカーの前で何度目かの告白をして、あっけなくフラれてしまった僕は、空っぽになりました。

 

空っぽのまま年を越して、治験のバイトで行った北千住のBOOKOFF

 

いつもでしたら迷うことなくCDコーナーに寄っていたのですが、そのときはなぜか文庫本コーナーにいて。

 

(それまで『バトル・ロワイヤル』ぐらいしかまともに読んでいなかったのにです)

 

空っぽの僕は本棚のなかから1冊の文庫本を抜き、レジで300円を支払って店を出ました。

 

その1冊が、大槻ケンヂさんのエッセイ集『のほほん雑記帳』(角川文庫)でした。

 

そしてこれがいまに至るまで続く読書人生のはじまりになるとは、空っぽの僕は知る由もないのでした。

 

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TAKE.2

TAKE.1 のつづきです。

 

 

 

2002年。

 

大学3年生になった僕は大学1年生のときに付き合い始めた彼女と半同棲のような生活をおくっていました。

 

ある日のこと。

 

B'zの『ultra soul』の、

 

ウルトラソウル

 

の部分に命をかけてる甲斐くんという男がサークルを立ち上げまして、カクテルのサークルだったんですが、週に1、2回彼のアパートに集まるようになって。

 

(漫画を借りるのはもう少し後になります)

 

最初は仲間内で集まるだけだったんですが、仲間が仲間を連れてきて、その仲間がまた仲間を連れてくるといった具合にメンバーが増えていって、6畳のアパートに十数人が出入りするようになりました。

 

それで朝まで騒ぐわけですから迷惑な集団だったと思います。

 

けれども、と言うと言い訳みたいになってしまうのですが、まあ実際言い訳なんですが、僕たちの住んでいた大学周辺は学生しか住んでいないようなところで、夜毎あちこちで飲み会が開かれていまして、そういった面では多少の騒ぎも許容してもらいやすい土壌があったような気がします。

 

そして集まりが続いて、顔を出すメンバーも大体決まってきたころのこと。

 

僕はメンバーのなかのある女の子のことが気になり始めるのでした。

どついたるねんの第2回オナラプープーまつり②

2014年11月10日月曜日。

 

 

 

上下緑のジャージにミッキーマウスのバッグを背負った坊主頭の僕は、『どついたるねんの第2回オナラプープーまつり』に参加すべく上京しました。

 

会場は恵比寿LIQUID ROOM。

 

昔キング(YO-KING)やTheピーズのLIVEを観にきたなあなんて油断していたら、いきなりもぎりをしている田口さんに遭遇。

 

無茶苦茶腰が低い方で、こんな風体の僕のチケットも優しくもぎってくれました。

 

(ちなみに田口さんはいまInstagramのストーリーに『ザ・きんにくTV【The Muscle TV】』をupするマシーンと化しています)

 

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しょっぱなからボルテージMAXになり階段を上ると、このスペースで物販をやっていたのですが↓

 

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売り子をやられてたのが、今年に入って(2022年1月24日)オールナイトニッポンの初パーソナリティを務められたぱいぱいでか美さんで。

 

そのころ僕はこんな動画にハマってまして、

 

 

生ぱいぱいでか美さんにお会いできて感激しちゃいました。

 

 

 

そんなこんなしていると、

 

 

 

!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

どつのメンバーと岩淵さんがやってきて、いきなり『ジャパネットうがい』の撮影がはじまって。

 

あまりに衝撃を受けたためでしょうか、それから先の記憶が曖昧で。

 

 

 

どうやって入場したのか、PUNPEEさんがDJをやられているフロアーに立っていて。

 

 

なんとなく隣に立っている人を見ると柴田聡子さんがvodafoneでメールを打ってらして。

 

 

 

もうどうなってもいいやと思いながらSTARTを待つのでした。